2015年2月12日木曜日

自由になりたい!


「おや?お茶会かい?」

頭の中にそびえ立つアイガー北壁



上の絵を描いた記憶がない。

多分、何を描いたら良いのかがわからない日に
「ちょっと適当に描いちゃおっ」
というとてもいいかげんな気持から出来た1枚。


思い入れもないし、とにかく何か描かなくちゃ!
という私の焦っている気持が絵に表れている、と思う。


こんな生き方をしてはいけない!






さて、そんな中途半端ないいかげんな私の醜い心が描いたこの絵が
それでもなんだかほんわかしているのは...

色かな?

パステルカラーを使うと、甘く柔らかいイメージになってしまうから





昔々その昔、私はパステルカラーしか使えない、という時代がありました。

パステルカラーといっても、それはちょっぴりひねった色でした。

原色を直接使うことがどうしても出来なかった私は
いつもチューブから色を出すと
肌色(今は絵の具の世界では禁止用語なのでペールオレンジ)や
黄土色を少し混ぜていました。

そうすると、どうでしょう、それは私が当時憧れていた

[ パリの色 ] になるのでございます。



何年か、その私の思うパリの色で、ずっと絵を描いていて

ある時、あっさりとその呪縛から溶けた私は
原色を自由に使える様になったのです。


どういうきっかけで、
そのパリの色から解放されたのか想い出せない


でも、原色を使い出した時に、感じた開放感は、覚えている。


ふ〜、これで一つ自由になった!






大変な仕事や試合、試験が終わると、開放感を味わう
病気や怪我が治ると、生きている喜びと、開放感で満ちあふれる
ダイエットや長時間の空の旅が終わった時にも感じる開放感

開放感をいつ感じるか、書き出したらどんどん出て来そうなので
ここで止めるけれど

私が [ パリの色 ] から解放されたのは、物理的な問題からの解放ではなく
精神的なもの

こっちの方はちょっとややっこしい

自分で、作った壁なんだから、それをただ壊せばいいのだけれど

でも、そうは簡単に壊れなくて、壊したと思っても、またそびえ立つ


相当厚くて高い壁を壊すには,凄い力が必要

くじけないぞ!という強い力と
それと毎日壊し続ける力



こういうちょっとややっこしい力が積み重なって
ついに壁を壊すことが出来るのだと思う。

その積み重なった力というのは、多分

自信


精神的な壁を壊すのに必要な 自信を得る というのは

スケジュールをたてて,計画通りに進ませられることは出来ないし
方法論もないし、道具もないから

凄く、厄介


でも、とにかく自分を信じて毎日壁を削っていくと

ある時、壁は壊れるのだと思うなー




でもね、やっと崩した壁を観て開放感に浸っていても
一夜明けてカーテンを開けると...

目の前には、見たこともないような高い高い
アルプス山脈のような壁がまたそびえている!

心や頭の中にある壁は、つぎつぎにやってくるのだ!


でも、それを一つづつ崩す度に、多分ちょっとづつ自信がついてくるのだと思う。




若い時のへんな色の呪縛からは、数年で解かれたけれど
私の前には凄い壁がずっと前からそびえ立っている!

色の壁の高さが2メートルで、あつさが3センチぐらいだったとしたら
こっちは、高さが数百メートル?厚さなんかどのぐらいあるのかわからない
そんな巨大な壁がドーンとそびえ立っている


それは、構図の壁


この壁を崩すことが出来たら
私は絵の世界で本当に自由になることが出来ると思う。
多分ね...



絵の中でその自由を謳歌する私を夢見ながら


そろそろ今日も、壁に挑みましょ!



























2015年2月11日水曜日

ダイルクロコダイル氏で、想い出したこと


懐かしいゲーム

アーサーズシートを目指してお散歩中のダイルクロコダイル氏






        ウィンドーショッピングを楽しむダイルクロコダイル氏 




この上の写真は、ダイルクロコダイル氏はどこだ?! 
ーシリーズ エジンバラ編ー

のために作った2枚。

デジタルペインティングを始めて
写真との合成に夢中になっていた頃のもの。


でも、これは続かなくて

シリーズといっても
この2枚で終わっちゃった。




[ウォーリーを探せ] [ダイルクロコダイル氏はどこだ?]
系も、好きだけど


私は、子供の頃から [ 間違い探し] が大好きだった!

本当によくやっていたから
結構上手いのだ!


今でも、好きで雑誌にそれを見つけると、仕事を忘れて夢中になってしまう。


以前私の好きなイギリスのインテリア雑誌
House&Garden誌にも連載があった

の だ が...

これはかなり難しくて、間違い探しには自信があった私は
とても悔しい思いをしながらも、途中でやめてしまうことが数回...

なんと言う屈辱



そうそう、パズル系も好き

いつものテーブルで、ジグゾーパズルを始めてしまったら
サア、大変! 

あるクリスマス休暇に、息子達とやった大きなサイズのジグゾーパズル

これを、ダイニングテーブルの上でつい始めてしまった。

あれは、どこでするか、をちゃんと考えておかないと
後で大変なことになってしまう。

そのパズルはかなり難しかったので、3人で夢中になってやっても
中々進まず、結果、私達は、それから数日そのダイニングテーブルを使うことが
出来なくなってしまったのです!

サイズが大きいと途中での移動は難しいから、
いつもは使わないテーブルを使って始めないとならないのよね

つい忘れてしまう。



ボードゲームもいいねー!

子供の時によくやっていたあの簡単なボードゲームが好き。

相手は両親、叔父伯母達、姉、従兄弟の男の子達
お正月の冬休みにいっぱいやった!


やっぱりこれは、家族が揃った時にするのには
うってつけの遊びなのだろうな

皆と楽しく遊べて、ワクワクドキドキと夢中になって
キャーキャー騒ぎながら

でもって、とってもゆっくりとした呑気な心地よい気分になれる。



そう、やっぱりね...


人生ゲームとかじゃなくて

ダイアモンドゲーム!




うわ〜、なんだか凄く遊びたくなっちゃった!
























2015年2月10日火曜日

見えてきた真実

レイジーメイドが見つけたイイ場所



レイジーメイドという,不思議なキャラクター



<レイジーメイドは、どこでも一番イイ場所を知っている>


これは、私がレイジーメイドの絵を描く時には
しっかりといつも頭の中に目立つように置く 言葉。


さて、今日は私がずっと不思議だ
と思っていた、レイジーメイドについてのお話




私が、率いる<呑気なキャラクターズ>の代表選手は

レイジーメイド、ダイルクロコダイル氏、デコボコ3人組、おじさん天使群、
他いくつか


彼等は、それぞれが驚く程違う性格で、世界感も違う

これは、世界七不思議の一つだ!




私の小さな頭から飛び出て来た彼等が
どうしてこうもそれぞれが、違うのか...


面白いことは、キャラクターを育てる時に色々なことを発見すること


時々彼等は新しい、私の知らなかった部分を出して来るから

「えー、そうだったのね!」
と、驚かされる。

まさしく、想像の世界から飛び出して来たキャラクターズは
生き物なのだと、思います。




さて。レイジーメイドは、[わからない] という点においては、特級クラス


とにかく、彼女はあまり喋らない!私に何も語ってくれない!


だから、レイジーメイドのお話を書くのには、かなり無理がある。



その真逆が、ダイルクロコダイル氏。
彼は、私に沢山語りかけてくれるから
ダイルのストーリーは、どんどん書ける。
そして、これもまた不思議なんだけれど
ダイルクロコダイル氏の時には、その映像が見えるから
それを追ってリポートするように、ストーリーが書ける。



でも、レイジーメイドは、違う!


彼女がどういう所の出身か?何歳ぐらいか?
どういう話し方をするのか?
どうして掃除が大嫌いなのにメイドの仕事をしているのか?
妖精になって私の元に、また戻って来たのはどういう訳なのか?


そう書き出してみて
ちょっと思ったことがある


もしかしたら...

レイジーメイドは、もともと普通の人間の大きさでは
なかったのかもしれない。
初期のレイジーメイドは動きが無かったし
中期のレイジーメイドには無理があった

想像の世界から降りて来てくれたレイジーメイドを
私は間違えて捉えてしまって、間違えて表現してしまったことから

レイジーメイドの間違った世界を何年も創り続けていたのかもしれない。

レイジーメイドが感じていた [違和感、苦しさ] は
私の知らない所で、つもりつもって
どんどん大きくなっていて、ついに

パーン!

レイジーメイドは、私の前から消えてしまった!




何年かして、突然妖精になって戻って来たのは

多分、私が変わったから

「島田カオルの所に戻っても、もう多分大丈夫」

と、レイジーメイドは思ってくれたのだと思う。


多分...




私には小さな妖精になってしまったレイジーメイドの声は
今でも聞こえない。
黒猫やクロウタドリといったいどんな話をしているのか

全くわからない。


でも、聞こえないけれど妖精になって戻って来たレイジーメイドは
とても、楽しそうで、活き々していると思う。

つまり、これは、多分

正しいレイジーメイドの姿、世界なのでしょう。


私は今度こそ、自信を持って
レイジーメイドの冒険に付いて回ってその姿を執らえていこう!


と、思っているのでございます。



2015年2月9日月曜日

想い出のベンチ

人を待つ公園のベンチ


レナータ



誰も座っていないベンチを見ると...


「次に座ってくれるのは誰?」
「誰か、座らない?」


という声が聞こえる。


座った人たちのお喋りを聴いて楽しむのが大好きだから

ベンチは、いつも誰かが座るのを、待っている。

*     *      *      *      *      *


気持よく晴れた初夏、ホランドパークをお散歩中のダイルクロコダイル氏は、
木陰のベンチを見つけたので、少し座って本を読むことにしました。

暫くすると、顔見知りのお婆さんレナータがきて、隣に座りました。

そして、彼女は誰に向かうでもなく、語り始めるのでした。


それは、レナータの美しくも波瀾万丈な人生の物語です。

楽しかった幼年期、学校の想い出話、ドイツとイギリスとフランスの生活、両親と兄弟のはなし、飼っていた犬や猫の事、音楽のこと、11歳からの寄宿舎生活について、初恋の話、音楽家として仕事を始めた頃のこと、新婚時代、戦争のこと、悲しい別離とそれを乗越えた幸福な日々の話、子育てに追われて朝から晩まで忙しく過ごしていた時代、音楽家として再び世に出て味わった充実の日々、演奏旅行、そして離婚と再婚、子供の結婚と孫の誕生、忙しい都会から離れて憧れの静かな田舎暮らしをしたけれど、数年で想い出の多い長年暮らしたロンドンに再び戻ってきたこと、そして貴方にもまた会えるようになってとても嬉しく思っている...

話の途中から、ダイルクロコダイル氏は、読んでいた本を閉じて、レナータの話に
じっと耳を傾けました。

長い話が終わると、レナータはバッグの中から
サンドイッチとお茶を出してベンチに広げ
ダイルクロコダイル氏にもすすめてくれました。

そして、このベンチは彼女の夫が亡くなった時に
その想い出として寄付したもので
毎日こうしてベンチに座って昔の想い出話を彼と一緒に楽しんでいること
そしていつか彼女が死んだ時には、もう一台のベンチを寄付するつもりなので
隣に並べて欲しいと思っていること

などを微笑みながら話してくれました。



晴れていた空が急に暗くなり、
ぽつぽつと雨が降り出してきたので

2人は立ち上がり、公園の出口に向かいました。

公園を出た所でダイルクロコダイル氏は、コーヒー豆を買いに左へ
そしてレナータは自宅に戻るから、と右に別れて歩き出しました。




コーヒー豆をホールフードで買って、店を出ると
暗い雲は去り,明るい夏の日差しがまた
戻って来ていました。

ダイルクロコダイル氏は、この次ぎにレナータと会ったら
夕食にでも招待して、彼女が生まれ育ったドイツの話や
戦争時代のパリの話、そして平和になって移り住んだ
1950年代のロンドンのことなどを
じっくりと聴いてみたい、と思いました。


その夜いつもの様に
本を持ってベッドに入ったダイルクロコダイル氏ですが
最後に右と左に別れた時のレナータの雨に濡れた少し淋しそうな笑顔が
頭から離れず、本のページはなかなか進みませんでした。




それから、数週間経った天気の良い午後、
公園の木陰にある例のベンチに座って
ダイルクロコダイル氏は、本を読んでいます。
レナータを夕食に招待しようと思い
彼女が来るのを、待っているのです。

気配を感じて目を上げると、そこにいたのはレナータではなくて
お喋りなクジャク夫人です。

彼女にレナータを待っていることを話すと

「あら,ダイルさんご存じなかったの?
彼女10日前に、急に肺炎で亡くなったのよ。
雨に濡れて風邪を引いてしまってね、それをこじらせて...、
お気の毒にね。毎日来ていたレナータが、
このベンチでもうお喋りをすることはないのだと思うと
本当に淋しくなりますわ、わたくしとても悲しいわ... 
ねえダイルさん、そういえば先日池にはまってしまったお嬢ちゃんのこと
お聞きになりましたかしら、あの子ったらね、ちょっと聞いて下さいます?
ぺらぺらぺらぺら....』



その後のクジャク夫人の果てしなく続くお喋りはもう
ダイルクロコダイル氏の耳にはいりませんでした。

「では、失礼」と、クジャク夫人に言うと立ち上がり
公園の出口に向かって歩き出しました。


角を曲がる時に後ろを振り返ると、誰も座っていないベンチが見えました。
レナータが楽しいお喋りをしにくることをじっと待つ、

一つの淋しそうなベンチが
見えました。




































2015年2月8日日曜日

やる気になる方法

「飛行場で、待つ人」


絵描きの王子様ルーベンス


私のコンプレックスは、ちゃんと勉強していなかったので
デッサン力がないこと。

骨や筋肉がどうなっていて、どう動くのかをちゃんと理解していないので
サラリとイイ線が描けない。

この上の線画は、おじさんが横を向いているから
なんとかスケッチ出来たのだけれど
これが前を向いていて、手を前に伸ばしていたりしたら
もう、ダメだ...


悔しいから、時々思い出したように、骨と筋肉の付き具合
動き具合の練習するのだけれど... ダメだ〜

これは、あまり楽しくなくて、どうも好きになれない。
多分、上達しないから、嫌になってしまうのだと思う。

絵をもっと上手く描けるようにように、なりたい!

と、思っているのに、肝心要な練習が続かないなんて、ダメよね。



でも


モチベーションが下がった時に、それをぐっとあげる方法が、実はある!

それは、上手な人の絵を観ること
つまり、美術館へ行く!

これは、効き目大!私にとっては、一番良い方法なのでございます。



*   *    *    *    *    *    *    *



昨日、ピカデリー界隈を散歩していたので、観たかった
RAA(王立芸術院)でやっている、ルーベンスの展覧会にちょっと寄ってみた。


少し薄暗い部屋の中に入った途端に、別世界が広がる!

あれだけのルーベンス作品を一堂に会して観ることが出来ることは
とても幸福なこと。

もうワクワク!


それなのに...


昨日は、美術館に行くつもりではなかったので
大事な眼鏡を持っていなかった!

だから、よく見えない

せっかくのルーベンス...

あまりのバカさかげんになんだか、可笑しくなっちゃった。


ということで
近くに寄ってみることが出来たスケッチ、版画に焦点を合わせて
じっくりと、本当になめるように観賞してきました。



<どうやって、アイディアを練っているのか>が、伺えて

私は、アーティストのスケッチブックやデッサンを観るのが,凄く好き。


油絵のための習作、素描が沢山展示されていたので
眼鏡のなかった私には嬉しかった。


それにしても、同じ人間なのにこれだけのデッサン力があるって
どういうこと?
ーなんて、比較する相手が違うけれど...

それは才能でしょうか?
練習を手から血が出るぐらいしたのでしょうか?


ー20代の頃、絵が売れたのでフランスに行こうとしていた時
ある画廊主からそんなことを言われたことがありました。

「カオルさん、貴方旅行ばかりしていないで、血がにじみ出すぐらい
絵を描かないといけませんよ』



ルーベンスレベルになったら、それは練習もあるけれど

持って生まれた才能なのかな〜?なんて思いながらじっくりと

筋肉や骨の動きを、線になぞって観ていたのです。

うーん、凄い凄い...

と、ただ出てくるのは、その言葉だけ。



1枚の大きな油絵<The Fall of Damned>のための素描が何枚かあった

その大きな油絵の方には

明るい天国から、溢れ出てくるように
大量の数の人と天使がグワラグワラと落ちる、落ちる、落ちる...

と、こんな様子で描かれているの、とにかく圧巻
よくこの数の身体を描く気になったな〜

なんて思いながらよく見えない私は、近くへ寄れる素描の方へ


逆さまになったり、横になっていたり、ひねっていたりうねったりして
落ちてくる、色々なカタチをしている豊満な幾つもの身体


どの角度からの、どんなポーズでも自由自在のルーベンス!


ふ〜



この展覧会は、ルーベンスだけではなく、それに関連している作家の
作品もあって、それがまた面白かった。

ピカソのデフォルメされた版画が
ルーベンスの習作の隣にあると、ドキッと驚く
ルノアールの女性が、ルーベンスの中にあると
ほんわかした優しさに、改めて見とれてしまい
セザンヌの風景画が、ルーベンスの中にあるとオオーなんと斬新な、と感動


眼鏡がなかったので、よく見えなかったけれど... 
 ーまた行かないとね!メガネ持って!

ルーベンスの世界に浸りきることが出来た,約1時間で

私の、モチベーションはかなりアップ!



今日から、また筋肉と骨のお勉強始めましょっ。









2015年2月6日金曜日

舞台を造って、アニメを撮って、真剣に遊ぶ


「ダイルクロコダイル氏のホリデー」

ソファーの上が舞台になる


今日は、この絵をどうやって創ったか、というお話

この絵は、実は半分立体なのであります。

私のキャラクターでクジラのお巡りさん
という凄くボランティア精神の高いイイ奴がいます。
ある日、そのクジラのお巡りさんの
ド超アナログプチアニメを創ろうと思い立った私は

舞台を造ることにしたのです。


ちょうどいい大きさのソファーがありました!
ソファーはそれから一週間、小さな舞台になりました。



まず大きな紙に、土地の部分を描きます、というよりも塗りたくります。



                         #1

このように,大きな紙をソファーに掛けると丁度背もたれの部分が背景になりました。

これが、出来たら後は、どんどんそこのシーンに使うものを
描いて切り取って、パーツを沢山創っていくだけ!

そうです、ここからが、本当のお楽しみ!





                         #2

これは、テーブルの上で山を創っています、一本樹も出来ました。
*これは、違うシーンのための山

#3
上の絵になった元の舞台

                          #4

#3の舞台の一部を使って、ビルの位置を変え
iPadで椰子の木と川を描きました。


この後は、ビーチでパラソルを広げている人達と海を描き

最後に、隠す様にダイルクロコダイルを入れました。
そして、出来上がり!





私は、悔しいのだけれど、せっかく誰にでも(多分)練習したら使えるように
なる、アニメアプリがあるのに、そこまでは怖くて手が出せない

だから、動画といえば、アナログしか方法はないのです!


でもね、この方法はやろうと思えば、誰にでも出来る
ほんとーに、凄く楽しい遊びです。

私はコラージュが好きだから、塗って、切って、貼っての作業が続く
舞台造りをやり出したら夢中になってしまいます。
当然の成り行き...


約1週間、私はこの舞台創りに没頭しました。


はい、そうです!
これも、頼まれた仕事でもなんでもなくて、ちょっと思いついたこと。
つまり、また遊び?


でもね...

こういう事をしていると、きっと後で何かになっていくのかな〜?

なんて、思いながら、信じながら

「あなた、本当に呑気ねー」と言われながら...


今日も私は、かなり熱を入れて、遊びの世界を広げているのでございます。









最後に、田舎のシーンを撮影した舞台、上の写真はちょいピンぼけだけど
舞台を創り始めたところ

ね、楽しそうでしょ???


p.s)これにハマると、ソファーも使えなくなるし、部屋はめちゃくちゃになるし...  
        ご家族様には、大変ご迷惑をおかけすることになりますので、ご注意くださいませ。




2015年2月5日木曜日

それでも、やっぱり好き!

憧れの線

<アフタヌーンティーに招かれました>

ベイビーピンクでほんわかしている中の
薄くて、もうすぐ消えてしまいそうなドローイングタッチや
少し色付けされている食器や、線の動きにコントラストがあって

よく見ると、意外に面白く、私のお気に入りの1枚になりました。


薄くてもうすぐ消えてしまいそうな色や線は
多分消えてしまうのだと思う

いらないものは、消えてしまえ!そして
残ったほんの少しのモノで勝負をする


カッコいいねー、憧れちゃう



絵でも、文字でも、文章でも、ファッションでも、料理でも建築や
インテリアデコレーションでも、脂肪でも
なんでもかんでも全て、いらないものをそぎ落とすって、難しいと思う。

マイナスよりも、プラスする方が簡単




たとえばインテリアデコレーション

私はごちゃごちゃと集めた色々なものを置いて
私の好きな空間を少し崩してカッコ良く作るのが好きなんだけれど

落ち着いてクールに決まった、インテリアデコが素敵な
ホテルの部屋に通された時のあの気持ちの良さを思うと

私の自宅も、必要以上の装飾、物がなくて
質の良い家具を最小限必要なだけ置きたい!と、叫びたくなる。



私は、今引っ越しが完全に終わっていないので
仮住まいをしています。

ここは家具付きホテルのようなフラットなので
まさしく私の憧れの生活スタイルだったのです。

モノがない!飾りもない!ある物は、必要なものだけ

次に引っ越しをした時には、こういうシンプルな生活をしてみたいと
思っていました。

いざここに暮らして数ヶ月経つと、ストーレッジルームに預けている
私のボロ家具やこまごました物々が恋しくなってきて、
そしてシンプルなこの部屋もいじりたくなってしまいました。


そうなのです!



憧れと、自分の好みはずれていて
その憧れの世界にずっと浸っていると
自分ではないような、落ち着かない気持になってしまうのです。


そうそう、憧れ で思うことがもう一つ。



その憧れとは上野の展覧会で出会いました。
それを観た時に、<これこそが究極の絵画> だと思ったのです!

それは書道、とんでもなく、カッコ良く崩した絵のような文字でした。

あんなカッコイイ墨絵のような文字が書けたら
私はもう絵を描かない!



<少しのカッコイイ線で完成させる>

なんて、私には出来ない領域、だから憧れてしまう





...でも、

どんなにそぎ落とされた美しい文字を書くことが出来ても



「あ、今日は絵を描こうっと!」とつぶやきながら

私は、細かく描き込んで線や色が沢山の絵を
相も変わらず描きたくなるのだろうな、と思う。

それは、好きだから
憧れのものがどんなにカッコ良くても、そして手に届いたとしても

私の好きな世界は、多分消えずにこれからも私の中で残り続けていくのだと思う。


幾ら憧れている物だとしても、

今まで長い間育てて来た<私の好きなスタイル>を、簡単に壊してしまう


その力はないみたい。