「お茶に招待されました」
遊び哲学
「 もう〜、この絵イイな〜!
こういう馬鹿げた絵が出来た時
ゾクゾクして、思わず叫んでしまいます。
そして、こういう変な絵を見るたびに
ニヤッとしちゃう
そして、思ってしまう
「 人生はやはり遊びだ!」
『期限限定人生』
これは、私がいつも唱えている 言葉で
エネルギーをもらえる言葉
『 喜びも辛いことも、幕が降りるまでのことなんだから
とにかく、今を楽しく、自分中心に 生きなさい!』
と、こんな風に、私の背中を押してくれる言葉なのです。
こういう考え方がどこから来たのでしょう???
もしかしたら
喘息だった幼い頃の私が
【 辛さから逃げる方法として編み出した】
考え方なのかもしれません???
『 辛いことも、死ねば終わる。
だから、死ぬ迄はもうちょっとだけ、生きてみようか?』
こんな風に考えながら、ゼイゼイ息をしていて
こういう風な人生観が少しづつ 出来ちゃったのかもしれません。
そんなんで
元気な子供が決して考えないようなことを
病気になるといつも考えていた子供は
大きくなるとちょっとひねくれ者になったのでしょう...
何かひねったような、
ふざけた感じがプンプンする絵や
何これ?と、いうような
なんにも意味のないストーリー、とか
どうでもいいモノ、とか
ちょっと変なものに
私は強く惹かれてしまいます。
このゴリラの絵は、私の好きなそういう一枚
これを見るたびに
私は、私の 生きる方向を思い出すのです。
『人生は舞台、それは遊び場』
前にも書いたかもしれないけれど
シェイクスピア名言集(岩波ジュニア新書)によると
『人間は神に操られてそれぞれの役を演じる役者であり
世界はそのための舞台である、
といういわゆる【世界劇場】の観念は、
ヨーロッパに古くからあった』そうで
シェイクスピアは、この観念をもって
「 世界は全てお芝居だ
男と女、とりどりに、全て役者にすぎぬのだ。
登場してみたり、退場してみたり」
(『 お気に召すまま』岩波文庫、阿部知二訳)
こういうセリフを書いたのだと言われています。
ちょっと生意気だけど
私もそんな風な考え方が大好きです。
神様が、みんなに与えてくれた台本にのっとって
今日も、舞台にたって、演技している…
こんな 風に思っていると、辛いことも、悲しいことも
幕が降りる迄だから、気が楽〜 気が楽〜
だけど、楽しい事もまた幕が降りる迄なのだから…
もう仕事は、ここまで!
さて、お散歩にでも行きましょう〜!
と、まあ、こんな感じしょうか?
さあ、とにかく遊びましょう!
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